うーむ、キーボードの打つスピードが極端に遅くなる。これについて
書こうとして、既に10分以上経つが、まだ5行か・・・・。イラクで武装グループに拉致されていた、日本人旅行客の
香田さんが殺害されたことが確認された、というニュースを
ネットで読んだ。
心よりご冥福をお祈りします。
正直こんな決まりきった「お悔やみ」では表しきれない気持ちがある。
ちょっとポロッと涙も流れた。
香田さんより可能性は低かったが、僕もイラクで殺されていたかも
しれないし、香田さんの家族のように、僕の家族が非難を受けていた
かもしれない。
人ごとではない。
僕も今から11年前の1993年10月の3週間、イラクに滞在していた。
当時22歳。イラクといっても、クルド人が湾岸戦争以降フセイン政権に
対して蜂起してイラク北部に成立させた「クルド自治区」というところだ。
まだ治安は安定せず、クルド人同士の内紛やフセイン政権の工作員に
よると思われるテロ、欧米NGO職員の殺害事件などがおこっていた。
「安定せず」というより、結構治安は悪かった。そんなところに
何しに行ったのか。
実は観光しに行った。
別にジャーナリストになろうとも思っていなかったし、この地域の
情報を世界に知らせるんだ、といった使命感があったわけでもない。
トルコとの国境で、自治区の入国係官から聞かれた。
係「何しに来た。NGOか?CIAか?ジャーナリストか?」
吉「観光で来た」
係「?」
吉「ここがどうなっているか観に来た」
係「どうして」
吉「わからなかったから。知りたいんだ。で、どこに行ったらいい?」
係「ホントに観光客か?」
吉「そうだ。観光しに来たんだ」
係「わかった。私は我が国成立いらいこの事務所にいるが、
君はこの国で最初の観光客だ。よく来た!」(熱い握手)
吉「はぁ、どうも・・・」
係「で、どこに行きたいんだ?」
吉「いや。この地域の観光情報を持っていない。状況もわからないので、
どこに行けばいいのか教えてくれ」
思い出すと恥ずかしい。
この後の3週間、僕はずっと人づてで国内を旅行することになる。つまり
紹介が紹介を呼び、常に誰かと一緒に行動していたのだ。もちろん
同行者は常に銃を携帯していた。拳銃だけではなく、移動の車には
手榴弾、カラシニコフが詰んであることは当たり前。
そんな状況のなか、僕も香田さんのように誘拐され殺害されていた
可能性があった。
但し、クルド自治区と日本との関係というのが、別に自衛隊を
派遣していたわけでもないし、反日感情もなく、日本人だから
といってクルド人から殺される理由はほとんどなかった。
可能性としては、フセイン政権の工作員による暗殺だった。
当時クルド人自治区には、CIAや各国のNGOが活動して
おり、「フセイン政権はクルド人自治区を援助する外国人を
殺せば1万ドルの賞金を出す」と現地で噂されていた。
今思うと、無謀以外の何者でもない観光旅行だった。
香田さんが何しに行ったのかはわからないが、個人的には