2005年8月23日火曜日

原爆で被曝したのに今も生き続けているロシア人の秘密

 最近とある雑誌に掲載されていた記事を紹介したい。


新潮社発行の月刊誌『フォーサイト』9月号(現在発売中)の記事だ。

「終戦翌日にソ連スパイが見た『ヒロシマ・ナガサキ』」という
3ページの記事。筆者は元KGB大佐で日本専門家として名高い
アレクセイ・キリチェンコ。


戦前、表向きは在東京ソ連大使館領事だが実はGRU(ゲールーウー:
ソ連軍参謀本部情報局)より東京に派遣されていたミハエル・イワノフ
という軍人がいた。あのゾルゲの連絡役だった男だ。

1945年8月に米軍により投下された原爆の状況を調査するため、
駐在武官のセルゲーエフとともに、8月16日に広島、17日は
長崎を訪問。各1日ずつ徒歩で爆心地周辺での調査と被害者への
聞き込みを行った。

この時の二人が受けた衝撃については本誌を読んでいただく
こととして、僕が興味を惹かれたのは、ソ連帰国後の二人の
運命だ。

セルゲーエフは帰国後数年で放射能被曝により死亡。しかし
イワノフは現在92歳でモスクワに健在とのことだ。

イワノフを救ったのは、なんとウィスキーだったそうだ。

彼は広島と長崎で持参したサントリー・ウィスキーを適量飲んでおり、
セルゲーエフは呑まなかった。

血液中のアルコールが放射能からの防御壁になったと、ソ連の
病院は結論付けたらしい。

それが知られるようになり、ソ連では核関連施設で働くものは
アルコールの摂取を義務付けられたり、原子力潜水艦の乗組員
でも適度のアルコール摂取が奨励されたそうだ。


うーむ。ソビエト時代といえば、ゴルバチョフが禁酒令を出さねば
ならなかったほどのアル中天国。

この話とは関係ないとは思うが、つい「ソビエト=酒」と連想させる
エピソードだ。

しかしこの話、現在は科学的に解明されているのだろうか。

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高尾駅ホームの弾の跡

 こちらは中央線高尾駅1番2番ホームの弾の跡。こちらは航空機から射出された弾は旧レール製の柱を貫いている。沿岸の都市だけではく、内陸の八王子まで空襲されるとは驚いたことであろう。こちらも駅の再開発でどうなってしまうのか。保存されるのであろうか気になる。