最近とある雑誌に掲載されていた記事を紹介したい。
新潮社発行の月刊誌『フォーサイト』9月号(現在発売中)の記事だ。
「終戦翌日にソ連スパイが見た『ヒロシマ・ナガサキ』」という
3ページの記事。筆者は元KGB大佐で日本専門家として名高い
アレクセイ・キリチェンコ。
戦前、表向きは在東京ソ連大使館領事だが実はGRU(ゲールーウー:
ソ連軍参謀本部情報局)より東京に派遣されていたミハエル・イワノフ
という軍人がいた。あのゾルゲの連絡役だった男だ。
1945年8月に米軍により投下された原爆の状況を調査するため、
駐在武官のセルゲーエフとともに、8月16日に広島、17日は
長崎を訪問。各1日ずつ徒歩で爆心地周辺での調査と被害者への
聞き込みを行った。
この時の二人が受けた衝撃については本誌を読んでいただく
こととして、僕が興味を惹かれたのは、ソ連帰国後の二人の
運命だ。
セルゲーエフは帰国後数年で放射能被曝により死亡。しかし
イワノフは現在92歳でモスクワに健在とのことだ。
イワノフを救ったのは、なんとウィスキーだったそうだ。
彼は広島と長崎で持参したサントリー・ウィスキーを適量飲んでおり、
セルゲーエフは呑まなかった。
血液中のアルコールが放射能からの防御壁になったと、ソ連の
病院は結論付けたらしい。
それが知られるようになり、ソ連では核関連施設で働くものは
アルコールの摂取を義務付けられたり、原子力潜水艦の乗組員
でも適度のアルコール摂取が奨励されたそうだ。
うーむ。ソビエト時代といえば、ゴルバチョフが禁酒令を出さねば
ならなかったほどのアル中天国。
この話とは関係ないとは思うが、つい「ソビエト=酒」と連想させる
エピソードだ。
しかしこの話、現在は科学的に解明されているのだろうか。
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