2005年6月29日水曜日

危機一髪!!!

 まいどーも、よしばです。


昨日今日と埼京線は災難続き。


昨日は山手線の目白で飛び込みで、防護無線で山手線と一緒に
ストップ。今日は高崎線の桶川で踏切事故。

昨日は池袋駅ホームの列に並んでいて、ちょっと便意がして
「トイレ行こうかな・・・」と迷って1本乗り過ごした電車が
出発直後にストップ。


あのまま乗っていたら、電車内で大を漏らしていたのは間違いない。


昨日の、あの超満員で身動きできない電車内では、間違いなく何人かは
嘔吐して、何人かは大もしくは小を漏らす光景が繰り広げられたことで
あろう。


考えるだに恐ろしい。


結局生と死を分けるのは一瞬の判断だ、ということが身に沁みてよくわかった。

2005年6月22日水曜日

北朝鮮観光から取り残される日本

 どもー、こんばんわ。


北朝鮮日記、いろいろご意見ご感想くださいましてありがとう
ございました。

最近は一気にアクセス数も増えまして、感謝の念でいっぱいです。


友人たちから問い合わせが多かったのが

「北朝鮮って行けるんだ~。知らなかったなぁ」

という疑問です。

詳しいことはKACツーリストのホームページを見て頂きたいのですが、行くのは簡単です。


日記にも書きましたが、行ったときは労働節ということもあり、
中国人観光客でホテルは溢れていました。

中国・香港・台湾だけではなく、マレーシア、シンガポールなどの東南アジアや
イギリス、フランス、ドイツ、北欧諸国からの団体もおりました。


そうです。実は北朝鮮観光は日本人が思っている以上にメジャーなのです。


上海にいたときに中国人に聞いた話。

よしば「中国人からみて、北朝鮮ってどんな国のイメージなの?」
中国人「日本人はどうなの?」

よ「全体主義で軍事独裁で個人崇拝の国」
中「じゃぁ中国と変わんないじゃん」
よ「?」

中「中国は今でも一党独裁で中央軍事委員会が国の最高機関で
  お札の肖像画にあるように毛沢東は今でも神様だよ」
よ「た、確かに・・・」

中「日本人は北朝鮮は独特の体制だから、って言うけど、北朝鮮
  だって中国みたいに市場経済になるよ」
よ「どうしてそう言えるの?」
中「だって30年前まで中国もああだったから。中国人にとって
  懐かしいんだよね、北朝鮮って」


な、なるほど~。


確かにその通りです。中国も文革の時代があったんですね。

となると、なぜ北朝鮮に中国人観光客がワンサと押し寄せているのか
納得がいきます。

つまり「ノスタルジー」ってヤツです。中国人にとって、北朝鮮の
「将軍様マンセー!!」ってのは懐かしいのですね。


あっ、ちなみに日本人は観光客では少ないのですが、ビジネスでは
意外に交流が結構あるようです。高麗ホテルでも、在日朝鮮人だけではなく
日本人ビジネスマンの姿も何組か見うけられました。

既に発展した中国沿海部に飽きて、北朝鮮でのビジネスをやっている、
もしくは狙っている大手商社やギャンブラーたちがウヨウヨいるようです。


アサリ・マツタケ・石炭・各種非鉄金属・繊維以外にどんな商売が
あるのでしょうか。今後も詳しく追跡していきたいです。

2005年6月12日日曜日

その後の妻

 まいどーも、よしばです。



妻のその後です。

・ゴールデンウィーク中
・土曜日
・夜遅く(既に羽田を出るときは23時を過ぎていた)
・海外からなので感染症の可能性あり

などから、受入れ先決定まで少し時間がかかってしまいました。

結局都立荏原病院が受け入れてくれることになり、病院にサイレンならしながら
急行します。

添乗員の朴さんと全日空の職員の方が心配そうに見送ってくださいました。

血液検査の結果、特にウィルスも検出されなかったことから、
ただの「腸炎」と診断されました。ブドウ糖の点滴(大塚製薬製:
ポカリスエットか?)をしたら帰っていいことになりました。

ふぃ~っ(汗)、です!!よかったでっす。

妻よ、ブチ切れて本当にごめん。

ついでにもし感染症だったら、旅行会社と航空会社にご迷惑を
かけるところでした。

旅行会社→「北朝鮮からの旅行客が●●●に感染!!」→次の集客に差し障る
航空会社→機内消毒・同便搭乗客にも連絡などなど


点滴中は少し楽になったようで、少し喋れるようになりました。

・注射(点滴)大嫌いだけどがんばった
・救急車に初めて乗ったのが北朝鮮からの帰りに羽田空港からというのが嬉しい
・おかげで仕事のネタにもなったし、話にオチもついた
・朴さんと全日空が心配だ


2時間ほどで点滴も終わり、2時過ぎには義母が運転する車で病院を
出て帰りました。

最初に病院から義母に妻が救急車で運ばれたことを電話で伝えると、

「あら、やっぱり」

全然驚きません・・・。


実は妻は海外に出ると殆どの確立で具合を悪くしているので、
「まぁいつものことね」という感じだったらしいです。

確かに昨年は彼女が上海に来るたびに1日2日は必ず寝込んでましたし、
2月のラスベガスでも確かに倒れてました。


旅行系イラストレーター兼ライターとして、それっていかがなものか・・・・。


明日(13日)ベトナムから帰ってくるのですが、今回は
どうだったのだろうか、心配です~。

でもベトナムだけは水があうらしく、2回に1回は調子よく
過ごせるらしいです。

2005年6月11日土曜日

ちゃんとオチをつけてくれた優しい妻

 まいどーも、よしばです。


北朝鮮編もこれで最後です。長くて恐縮です。


平壌最終日の夜、アヒルの焼肉の夕食も終わりホテルに帰ってしばらくすると、
妻が「気持ちが悪い」と言い出しました。

その夜はトイレとベッドを行ったりきたり。

帰国日である翌朝も気持ち悪さは止まらず、午前中のショッピングも私たちだけ
キャンセルし、空港に向う前にホテルに迎えに来てもらうことにしました。

ホテルから空港に向うバスの中でも、彼女は朦朧としながらも「瞳に焼き付ける」
と言って、窓からしっかり景色を凝視しておりました。

空港でもフラフラなのですが、私に抱きかかえられながらも売店に行って
「律動体操CD」や「アリラン祭ビデオ」などを買い求めます。
すごい根性です。顔面蒼白です。

帰りは行きと逆ルートで、平壌→瀋陽(高麗航空)・瀋陽→大連→関空
(全日空)・関空→羽田(全日空)と、乗り換え2回経由1回と計3回も
乗り降りを繰り返さねばなりません。

全行程約8時間です。特に関空での乗り継ぎの2時間が妻にとってはキツいです。
「直行便だったら2時間かからないのに・・・、フザケンナ~」と妻の口から
力なく文句が漏れます。


息も絶え絶え羽田に着陸して降りるとき、妻が機内誌「翼の王国」を手にとって
「これ持って帰っていいよね~」と力なく言いました。

そのときなぜか私は「でめぇ~、この期に及んでナニ言ってんだぁ~。
少しでも荷物軽くして楽にならにゃいけんのに。早よ降りろ~!!」と
ブチ切れてしまいました。

今思うと、理由なき怒りだったのですが、だいぶ看病疲れというかなんちゅーか、かなりイライラしていたのでした。

ちょっと気まずいまま空港の通路を二人で歩いておりました。妻が「トイレ
行きたい~」と言うので、通路途中にあるトイレに連れて行きました。

5分以上経ってもなかなか出てきません。先ほどの怒りがまだ持続していて、
トイレの中の妻に向ってだいぶイラついた感じで「大丈夫か~。誰か呼ぶか~」
と言うと、「たぶん大丈夫だから先行ってて~」と力なく声が返ってきました。

「もう知らん!!」と思い、私は階段を降りて通路をスタスタ歩いて行ったの
ですが、やはり心配は心配。途中で引き返してトイレの前に戻りました。


後日に妻曰く「あの時、オットの愛情の限界を知った」と言われてしまいました。
・・・・・

人気のないトイレの前の通路で待っていると、2回ほど警備員さんから
「どうかしましたか?」と声を掛けられます。夜遅く人気のない通路の女性
トイレの前でウロウロしている男なんて怪しいに決まっています。

トイレの入り口には監視カメラがあり、このまま入ると変態扱いで警備員が
スッとんで来るとは思いました。しかし10分経っても出てこないこと、他の
お客さんはいないことがわかっていたこともあり、意を決して女性トイレに
侵入。

個室をノックして妻に「誰か呼ぶか~」と優しく言うと、妻が扉を開けて
床に座り込んでいます。

「出れないの~」

こりゃー本格的だ。一瞬逡巡しましたが、意を決して近くの警備員を大声で
呼び、救急車を呼んでもらいました。

そのときの写真がこの写真です。
羽田から救急車で
ストレッチャーに乗せられて、空港の通路を行く妻。この後も通路や救急車、
病院の中で苦しむ妻を、去年のお礼のつもりで撮りました。


去年上海に住んでいたとき、妻に誘われて入った喫茶店(南京西路)の
下水コーヒーフロートを飲んだ夜のこと。急激な腹痛がおこり、タクシーで
妻に華山病院に連れて行ってもらったのでした。

その際に一般病棟から外人用でもある特別病棟まで、華山路をガタガタと
車椅子で搬送される際に痛い腹を抑えて前かがみになりながらも、こんないい
ネタはないと思い、
「写真撮ってくれぇ~」と力なく妻に懇願したのでした。



最後に、なかなか出てこない私たちの荷物をターンテーブルから取って出口で
ずっと待っていてくれ、最後は救急車で空港を出るまで見送ってくれた
KACツーリストの添乗員・朴さんに心から御礼を申し上げます。

次回朴さんに会うだけでもツアーに参加したいと思うくらい、エロ話から
危険なギャグまで、本当に楽しませていただきました。みなさまに
強くお勧めいたします。


それと「話には必ずオチがなければならない」と常日頃強く訴える妻。ちゃんと
自ら体を張ってこの旅行のオチをつけてくれました。ありがとう。


ここまで読んでくださいまして、ありがとうございました。

2005年6月10日金曜日

北朝鮮に行ってきた〜その7

 まいどーも、よしばです。梅雨ですねぇ。


あともう少しで終わります~。もう92枚も登録してるから、
写真あんまり使えないんです~。

googleで「北朝鮮」「日記」と入れると、結構上位に来てしまうことが
わかった今日この頃。

開城
朝鮮最初の統一王朝「高麗」の首都だった開城(ケソン)の街です。
焼酎と朝鮮人参が名物。思ったより寂れてた・・・。

開城古い家並み
開城の古い街なみです。朝鮮戦争のときに文化的に貴重な街だから、
という理由で米軍の爆撃を逃れたので古い街が残っているらしいです。境遇が
京都とよく似てますね。

最後の夜は焼肉
最後の夜は、アヒルの焼肉ですっ!焼いて焼いて食べて食べて焼酎で
流し込んで流し込む~。

右下に妻が写っています。無理やりフレームに入ってきます。風景を
撮っているのに、気づいたらフレームに入ってきます。当然ワザとです。

この24時間後にはとんでもないことが自らの身におこるとはしらずに・・・。

ふっふっふっふ。


ハンバーガー
いきなり帰路になってしまうのですが、平壌→瀋陽の高麗航空で出た
ランチです。なんと敵国の国民食である「ハンバーガー」です。わかってるのかな?

ホントに食べて食べて食べまくりでした。人民に申し訳ないと、できるだけ
残さず食べました。

おかげでとんでもないことがおこるのですが・・・。


次回お知らせします。

2005年6月3日金曜日

北朝鮮に行ってきた〜その6

 高速道路

今日は板門店に向います。一応高速道路ですが、歩行者も歩いています。

ドライブイン
跨線橋形式のドライブイン。これなら土地も節約できるし構造も簡単。

農村風景
農村風景です。

まずは模型でお勉強
まずは板門店の手前で模型を使ってお勉強です。米帝と南朝鮮
傀儡政府の凶悪性と無法者ぶりについてレクチャー。

板門店に着きました
板門店に着きました。手前が北朝鮮、向こう側が韓国です。

会議場内部
会議場内部です。北朝鮮兵の扉の向こうは国連軍管轄地域。部屋の真ん中の左右
方向に軍事境界線が走っています。南北朝鮮は未だに「戦争中」です。

机の上の境界線
机の上の軍事境界線です。この左右を挟んで休戦中です。

線の横
部屋の外です。北朝鮮兵の右下に見えるコンクリートの盛り上がりが境界線。

韓国兵
境界線の向こうにいる2人の韓国兵。サングラスをかけて凶悪そうです。
彼らは私たちが会議室に入ったとき、韓国側の窓の外から内部を覗いていました。

高尾駅ホームの弾の跡

 こちらは中央線高尾駅1番2番ホームの弾の跡。こちらは航空機から射出された弾は旧レール製の柱を貫いている。沿岸の都市だけではく、内陸の八王子まで空襲されるとは驚いたことであろう。こちらも駅の再開発でどうなってしまうのか。保存されるのであろうか気になる。