2004年4月30日金曜日

風風ラーメンにて

 この間、会社近くの日本式ラーメン屋でずるずる啜ろうとカウンターに座ったら、隣に金髪モヒカンの西洋人が鰻丼食べてた。


座った瞬間に目が合って、もぐもぐしている彼の口から一言。

「オッス!」

懐かしい響きだなぁ・・・。

話をしてみると日本語中くらい。21歳のNZ人で故国で大学の日本語学科1年&日本で9ヶ月英会話学校の先生だと。先月から上海と杭州の英会話学校で教えているそうな。

学習歴1年9ヶ月にしてはうまいな、日本語。

彼がお茶を注いでくれた小姐に「ありがとね」と日本語で言ったら、小姐が一瞬間を置いて「ぎゃー」っつってマンガのような小走りで厨房に走っていってしまった。。

外見もこっちじゃビックリなのに、おまけに日本語しゃべるんじゃ驚くわな。でも驚きすぎだぞ小姐。

2004年4月28日水曜日

尾崎豊って

 昨夜「Wowow」を観ていたら、尾崎豊の特集をやっていた。



尾崎豊と言えば思い出す。

高校3年生の頃、隣の席の浜田君が熱狂的なファンで、授業中にウォークマンでよく聴いていた。

彼に話を聞くまで尾崎豊のことを知らなかったが、そんなに熱狂的になる人がいて人気もあるのだから聴いてみるか、ということでテープを借りて聴いた。

1回目「うーん、よくわかんねぇ。でも1回で『好きじゃない』なんていういのも失礼だし、もう1回聴くか・・・」

2回目「うーん、やっぱりよくわかんねぇ。彼女がいなかったり不良じゃなければ心に響かないのかも」

3回目「ダメだ・・・。嫌いでも好きでもないわ・・・」

という感じ。

その後もテレビで尾崎特集をやっていたりCD屋やラジオでかかっていたり、彼の歌を耳にする機会が多い。何しろ人気あるからね。


昨夜は「おっ、俺も30歳超えたし結婚もしたし単身赴任で寂しいし不良じゃないけど上海だし(←意味ナシ)、そろそろ彼の歌が心の琴線に触れるくらいにはなったのかも」と、ちょっと期待した。

が、結果は「やっぱり好きでも嫌いでもない、どーでもいい歌」でした。


響かねぇなぁ。


あっ、尾崎ファンのみなさん、怒らないでね。
たぶんよしばたいきの性分に「合ってない」んですよ。


でも、ずっと尾崎を耳にするたびに同じようなこと思っちゃうんだろうなぁ。

2004年4月27日火曜日

エロはダメだが「人体芸術」ならOK

 地下鉄のコンコースや路上のキオスクには、こっそりとヌード写真集が売られている。


ただしタイトルは日本のように煽情的ではなく、「人体芸術」などのように学術的だ。

これならOKなのでしょうかね。でもなんだかイヤらしさもなくて、よりいっそう買いにくいと思うけどね。

2004年4月25日日曜日

お嬢さん、おヘソが見えてますよ~

 中国ギャルのシャツの丈が短いんじゃないか?


先日はストッキングの薄さについて報告したが、今度はシャツの丈です。

暖かくなってきて、こちらの女性も薄着になって来ました。

そこで気づいたことがまた一つ。

上海では東京よりも、シャツの丈が短いせいか女性のおへそや腰周りの素肌をよく見るような気がします。

恥ずかしくないのかなぁ。寒くないのかなぁ。

いや、ホントに街中でよく見かけるんですよ。

確かめたかったら、ぜひ上海に!

2004年4月18日日曜日

寒さ対策だったのね

 やっぱりストッキングが薄くなってきた!



先日は「なぜ上海の女性のストッキングは分厚いのだろう」と
疑問を呈してみたが、ちゃんと薄い人もいました。


今日の上海は気温30度を超えたそうです。暑いですね~。

さすがに暑いのか、今日は外を出歩いていたのですが、
分厚いストッキングには出会いませんでした。素足の
人も結構見ました。


あれはファッションじゃなくて、寒さ対策だったのですね。

2004年4月15日木曜日

以前感動した映画を上海で観た その2

 上海に来てから、映画をテレビでよく観る。1日3本くらい観た日もある。


まだ友達も少ないので、夜遅くまで呑み歩いたり、週末に約束して
出かける、ということがあまりない。結構時間はあるのだ。


そんな生活なので、上海で映画をよく観てしまう。

風呂上りなどにプチッとテレビをつけたら、たまたまいい映画がやって
いる。

これが昔感動した映画、観たかった映画だったら、しみじみ思う。

う~ん、ツイている。すっごい偶然!!

これが始まる直前だと、「俺って超能力者かも・・・」とまで思って
しまう。


ちなみにドラマを含めると、最近観た「昔感動した映画」もしくは
「観たかった映画」はこんなところです。少ないけど、覚えているのは
こんなところ。

「戦場のピアニスト」
「指輪物語」
「青春デンデケデケデケ」
「異人たちとの夏」
「ボーリング・フォー・コロンバイン」
「国語元年」←NHKのテレビドラマ


こうやって毎日テレビのスイッチをつけて、偶然を楽しんでおります。


ちなみに過去、テレビでな~ぜ~か何回も観てしまう映画、というものが
あるのです。「たまたまテレビをつけたときにやっていた」映画です。

こんな映画には運命というものを感じてしまいます。

「恋する惑星」
「たんぽぽ」
「黒猫白猫」


あれっ、まだいくつかあると思うんだけど、思い出せないや。


ちなみに「指輪物語」って、実は「ハリーポッター」の1シリーズだと
思っていました。マジで。今日を含めてWowowで3回も観てしまいました。
これも運命か?

2004年4月14日水曜日

以前感動した映画を上海で観た

最近ツイている。


いや、これはまったくマルチレベルマーケティング(以下MLM)を
やっている友人が叫ぶ「ツイてるツイてる」などと、意味なく呪文の
ように繰り返している言葉と同じ使い方ではありません。


■以前感動した映画を上海で観た

僕の部屋のテレビは、「Wowow」と「NHK-BS1」「NHK-BS2」という
日本発のチャンネルを受信できる。


僕は映画を映画館で観ることはほとんどない。テレビがメインだ。


理由は簡単だ。映画館で観ようとする場合、やらなきゃいけないことが
多いのだ。

・広告媒体を見る
・監督・俳優・ストーリー・評論家の評などを眺める
・どこの映画館でいつからいつまで、何時から上映しているかチェック


やることが多いのだ。


本は立ち読みで、CDはラジオやショップで事前にコンテンツの内容を
チェックすることができる。しかし映画はそういうわけにはいかない。

その監督や俳優が以前観た映画のように今回も満足させてくれるか
限らないし、評論家は商売で評論を書くわけだし、上映時間に
必ず映画館に行けるかどうかわかんないし。

僕にとって映画を観ることは、人生の中でそんなに優先度が
高いわけじゃない。

1800円を賭けに使えない、小心者なのです。


だから、どうしても映画を観るって行為は、家のテレビの前で、
ということになる。

新聞のテレビ欄で映画のチェックするという行為はしない。チェック
するときはドキュメンタリーを観たいときくらいだ。テレビ
雑誌もプライベートでは買ったことがない。


風呂上りや夜寝る前、もしくは休みの日の午前中に、何気なく
テレビをつけたら映画がやっていたので、おもしろそうだから
そのまま観てしまった、というのが好きだ。

<つづく>

2004年4月13日火曜日

上海女性のストッキングは分厚くないか?

 ここ1週間ほど、上海にやっと春がやってきたことを

実感しています。


ビルの21階のオフィスから見下ろすと、眼下の淮海中路に
植えられているプラタナスが少しずつ芽吹いてくるのがわかります。
砂埃とスモッグの街に色が付き始めました。


ついでに暖かくなってきたので、女の人のスカート姿も
多くなってきました。


2月に上海に来たときは、「上海の青山」(?)とも呼ばれている
淮海中路でも、スカート姿の女性はまず見かけませんでした。

なので、「中国の女性はスカートを穿かないんだろうか?」と
不思議に思っていました。

これを上海女子大生軍団に聞いたところ、単純に「寒いから」
だそうです。

寒くて足を真っ赤にしていても、気合でミニを穿いている
日本人ギャルとはだいぶ違います。


しかし今や若い女性に限ると、なんとかスカート姿が半分
行くか行かないか、くらいまで増えてきました。


一つ、日本とはだいぶ違うなーと思うことがあります。


スカートの裾から覗いているストッキングです。分厚いのです。


それも黒じゃなくてベージュのストッキングが。

日本じゃそんなに分厚いベージュのストッキングなんて見かけた
ことがないので、だいぶ違和感を感じます。いや、違観感とも
いうものでしょうか?

その分厚さはタイツじゃないかなぁ、と思ってしまいます。


あれは、寒さ対策なのか、それともそれがお洒落なのかが
不明です。


今度知り合いの女性に聞いています。

2004年4月9日金曜日

最初のトロリーバス

 ■最初のトロリーバス体験はモンゴル



生まれて初めてトロリーバスを見たのは、1991年春の
モンゴルの首都ウランバートルだった。


当時のモンゴルは経済状態は極度に悪化していた。

ひどい状態だった。

近年のようなゾド(寒波による大雪)ではなかった。最大の
援助国であったソビエトからの援助がなくなったことによる
経済混乱によるものだった。

日本の新聞には「モンゴルで飢餓!」と伝えられていた時期だ。


春のために野菜はほとんど出回っていなかった。家庭菜園で
作られたような、ちいさなプチトマト、硬くて渋いキュウリ、
半分腐ったジャガイモ。ロシアから送られてきた、ご~く
薄い酢に浸かっている紫キャベツの缶詰。

1ヶ月ちょっといて、食べた野菜はそれだけ。それらすらも
市場でみることは難しかった。


国内線の飛行機は墜落していた。原因は粗悪な燃料だったり、
航空会社が燃料をケチったため、燃料不足で飛行機が堕ちていた。


燃料不足で地方にも行けなかった。首都のウランバートルから
地方には、元々長距離バスも走っていた。しかし燃料不足で
バスが出ていなかった。

地方からの物資が集まるトラックターミナルはガラガラ。
トラックも走っていなかった。ガソリンスタンドには長蛇の列。


市内の外れにある火力発電所も、燃料不足とメンテナンス不足に
より、4基あるタービンのうち、なんとか動いているのが1基、
時々なんとか動くのが1基、残りの2基は動いていないと聞いた。

タービンの調子が常に悪いので、1日中タービンが出すジェット
エンジンのような音が街中で響いていた。

「グォグォオオオオーン!」

夜になるとその音はますます大きく聞こえ、夜遊びするような
歓楽街もほとんどないウランバートルの静かな夜をぶち壊して
いた。

燃料が粗悪なのか、時々発電所から爆撃音のような爆発音も響いていた。

「どっかぁ~ん、どっかぁ~ん、どっかぁ~ん」


当然のことながら停電も多かった。トロリーバスの路線も結構あった。
確かハンガリー製の車だったと思う。

「うぃぃぃぃ~ん」
「ぅぅうううううう~ん」
「ぷしゅー」

人々は諦めてゾロゾロ降りる。

そんな日々。


■昔から疑問に思ってました

前置きが長かったが、このときには既にトロリーの分岐器に
対する疑問は持っていた。

今と同じく、トロリーバスが分岐器を通りかかるのを
ずっと見ていた。

やっぱりというか、分岐器もメンテナンスが十分にされて
いないためか、よくパンタグラフが分岐器で架線から
外れていた。

外れると、運転手がダッシュで車体の後ろに走り、
パンタグラフに括りつけられているロープを上手く
操作して、架線にはめ直す。


しかし分岐器の構造については誰に聞くわけもなく、
「どーなってんだろー」と思いつつ帰国してしまった。


当時市内のバスは最低区間が1トゥグリク≒3円(当時)。

その運賃の安さから、当時ウランバートル市内に走っていた
27路線(くらいだったと思う)を全線完乗を果たしました。

小さい街だし、暇だったしね。


大学の日本語学

2004年4月8日木曜日

トロリーの分岐器はどうなっているのか

 ■トロリーの分岐器の仕組みを知りたい!!



トロリーバスに給電しているトロリー=架線。大きな通りだけではなく
小さな路地にまで張り巡らされています。

いつもそのトロリーを見るたびに強く思います。


「トロリーの分岐器は、一体どのようにパンタグラフの
進む方向=左右を決めているんだろう」

■トロリーバスとは


黒部ルートのトロリーバスがバッテリーになり全廃して
しまった日本とは違い、上海ではまだまだ走っています。

旧共産圏ではまだまだ多いようです。


ちなみにトロリーバスとは、電車のように架線に流れている
電気を動力源としてモーターで走っているバスです。

道路上を走る電車ですね。外見はバスと同じです。

ただし道路上に張られている電線から電気を取り入れるための
釣竿のような2本のパンタグラフ(アーム)が屋根から突き出ています。

その釣竿の先に、電線を下から押し付けてホールドできるような
小さな凹型のアダプターが付いてます。


写真があると簡単に説明できるのですが、この部分に写真を
貼り付ける方法を知らないので、今度勉強しておきます。


■見上げる男

つい交差点手前などにあるトロリーの分岐器を見上げて
しまいます。そしてバスから突き出ている2本のパンタグラフが、
どのように分岐器を通過するのかをジト眼で観察します。


「シャーッ」
「カシャカシャカッシャンッ!(軽く火花)」
「シャーッ」


うーん、どうなってるんだろーーー!!


分岐器そのものはとてもチャチな作りで、それがバスや指令所など
からの外部指令によって左右に振り分けているとは思えない。

鉄道のように、カチッとダイヤが決まっていて、信号のプログラム
からの指令により、モーターによって左右に分岐器が動かされている
ようには思えない。


一つの可能性として考えられるのは、次のようなことだ。

・架線を中心にして、バスの車体が左にあればパンタグラフは
左に振られる。右にあれば右。

例えば車体が分岐器よりも左にある場合、パンタグラフは
バスの屋根についているパンタグラフを安定させるための
バネの力により左に行こう行こうという力が加わっている
わけです。

そうすると、左に行く?


うーむ。わからん。

2004年4月5日月曜日

バスネタ

 うむ。3日坊主にならずになんとか続けたいですね。


今日は簡単な交通ネタ。


■バス運賃支払方法

バスの種類によって、料金の支払方法が2つある。

・ワンマンバス→前乗り後降り。乗るときに運賃を支払う。
均一運賃。

・ツーマンバス→車掌が乗車。基本的には後乗り前降りだと思われるが、
あまり関係なさそう。集金に来た車掌に行き先を行って
運賃を支払う。均一運賃のバスにも車掌がいることもある。

この違いは、バスのフロントガラスに「無人集票車」と書いてあれば
ワンマン。なければツーマンということで見分けられる。車体に書いて
あることもある。

均一の料金は、空調車でなければ1元もしくは1.5元。空調車で
あれば2元もしくは3元。同じ系統でも、空調車もそうでないのも
走っています。

だから停留所で1元コインを握り締めていても、空調車が来るのが
見えたら、お財布からもう1元取り出さねばなりません。


■バス路線

バスの路線図が欲しいです。

バスがどのような経路で走っているのか、そのバス系統のラインが
道に沿って描かれているような「路線図」は今のところ見たことない。

あるのは、バスの系統番号と、そのバスがどの停留所に止まるのかを
書いてあるものだけだ。

例えば、いつも使っている42系統はこんな感じ。

42路:広東路外灘・漢口路・老北門・淮海東路・嵩山路・思南路・襄陽
公園・永嘉路・建国西路・岳陽路・烏魯木済南路・宛平南路・裕徳路
・上海体育館


実はこれだと、一体どこを走っているのか、どこに停留所があるのか
よくわからないのだ。

例えば「思南路」。この道は淮海中路から1キロくらい南に下った泰康路まで
続いている南北に走る通りだ。これだと一体思南路のどのヘンに止まるのかが
わからない。

続いて「永嘉路」。これは瑞金二路から衝山路まで4キロくらい(?)を
東西に走る通り。その次に止まる「建国西路」も瑞金二路から衝山路まで
東西に走っている。

その次の「岳陽路」「烏魯木済南路」「宛平南路」は南北の通りだ。


この通り名が1つしかない停留所名だと、停留所名の通りとどの通りとが
交差している辺りに停留所があるのかわからない。


こちらが対抗できることは以下のことくらい。

・前後の停留所名から類推する
・一方通行を考えてルートを想像する

おまけに系統によって、同じ停留所名なのに場所が結構離れていたり
することも多い。


今僕が困難に感じるのは、路線図がないことだ。まだ道路の名前を
覚えていないっていうのもあるが、やはりちゃんと地図上のラインで
経路が追えるバスの路線図が欲しい。

バンコクでは、とある日本人バックパッカーがバス路線図を作り上げ、
コピーを1部50バーツで旅行者に売っていたらしい。


自分で作ろうかなぁと、じわじわ思っている今日この頃でした。

2004年4月4日日曜日

書くことがないときは・・・

 うーむ。


書いていることが一貫性がなくてバラバラだ。

よく「コンセプトを絞れ」や「一貫性が大切だ」などと
言われるが、これは日記なのでバラバラでもいいのだ。

いや、ちょっとマズいかな、とも思っているのも事実であるが・・・。


■とりあえず天気の話

イギリス人紳士のように、ネタに困ったときは天気の話を
しよう。


今日は昨日と違って寒くて風も強くて、ときどきポツリポツリと
雨が降っていました。こーゆーところがまた春らしくて好きです。


幼稚園なみだ。自分でもポツリポツリと涙がでちまうよ。ったく。


まぁいいや。千里の道も一歩から、だ。


日記が書けない、というのは「俺って丸一日何もしていないし、何も感じないン
だぜ~」ということなのだろうか?

それとも「人に伝えたいことがない」ということなのだろうか。


いや、そんなことはない。

会ったことのある人ならわかるだろうが、会えば大変よくしゃべります。


今閃きました。


「早く習慣づけよう」

2004年4月3日土曜日

水タンクのこぽこぽ音にホッとする

 ちょっとお客さまや奥さんが上海に来ていたので、なかなか更新ができませんで

した。コレイイワケネ。


こっちの会社や家庭には大抵置いてある「飲料水サーバー」。

あれが大好きなんです。あれが出す音が好きなんです。


私の住んでいる部屋には置いておらず、使うのは専ら会社です。

だいたいアレにお湯を入れに行くとき、というのは疲れたときなんですね。
疲れたから「そろそろお茶でも飲もうかナー」などと独り言をつぶやきます。

サンダル履いた足をペタペタいわせながら、緑茶のティーバックを入れた
コップを持って歩きます。疲れているので多少ヨタヨタとなっているかも
しれません。

サーバー君は、ちっちゃな体におっきな水タンクを逆さまに乗っけています。1
8.9リットルです。意外に大きくて重いです。お湯も沸かしてくれます。


さて、コップを左手にぎゅっと握って注ぎ口に持って行きます。


右側は水色に塗られた冷水レバー。こちらは胃薬を飲むときに使わせてもらって
います。

今回はお湯。左側の赤く塗られたちっちゃなプラスチックのレバーを右手でつま
み、くいっと押し下げます。


注ぎ口からはじょじょじょじょじょじょー、っと心持ち優しくお湯が出てきてコッ
プを幸せなお湯で満たしてくれます。

それとともに、サーバー君の上に逆さまに乗っかっている水タンクの下部から、
空気の泡がこぽこぽこぽこぽ~と昇ってきます。小さすぎず大きすぎず。


あぁぁぁぁ~、いい。すごくいい(by「刑務所の中」)。


お湯レバーを丁度のところで戻し、また部屋に戻っていきます。


会社で「お茶を喫する」ということは、お湯を入れる音を聴く→気持ちいい、お
茶を飲んで味わう→気持ちいい、という2つの幸せな気持ちを味わうことができ
るのです。


あぁ、素晴らしい上海ライフ。


そうやって、いつも私は「飲料水サーバー」に心から感謝する生活を送っており
ます。

高尾駅ホームの弾の跡

 こちらは中央線高尾駅1番2番ホームの弾の跡。こちらは航空機から射出された弾は旧レール製の柱を貫いている。沿岸の都市だけではく、内陸の八王子まで空襲されるとは驚いたことであろう。こちらも駅の再開発でどうなってしまうのか。保存されるのであろうか気になる。